太平洋神奈川支部の歩み

太平洋美術会神奈川支部の歩み

太平洋神奈川支部は、昭和32年10月、当時神奈川県在住の太平洋美術会会員川村信雄を代表として,近馬勘吾、石井弥一郎、大森商二、三沢 寛、北岡数彦によって結成されました。

第1回太平洋神奈川展は、会結成の翌年(昭和33年)横浜市中区北中通の全日本海員会館にて開催されました。第2回は尾上町中小企業会館、第3回は山下町アメリカ文化センターと毎年会場を異にしていました。昭和36年第4回展から第7回展までは、伊勢佐木町の有隣堂で開催、年々支部が発展拡大するとともに常に会場の確保が難しく、ふさわしい発表の場がないまま、会場確保に奔走する苦難の時代でもありました。

昭和39年、桜木町駅前の旧横浜市中区区役所が、市内で初めて美術館として改装オープンし、この記念すべき「こけら落し展」としてわが太平洋が選ばれ、1,2,3階の全てを大作で埋め尽くし、その大役を堂々と果たしたのです。また、旧市民ギャラリーで開催中の8年間は、会場の一部に小品コーナーを設け、売上金のあらましを、恵まれない方々のために寄付するという福祉活動も行い、関係方面から深く感謝されました。

昭和41年、代表川村信雄が地域での美術活動が顕著であると広く認められ、「横浜市文化賞」第1号を受賞する栄誉に輝きました。

昭和42年には、第10回の記念展を開催しこの年より横浜市教育委員会ならびに神奈川新聞社の後援を得、さらに第12回展からは「横浜文化祭」の記念行事に参加が認められました。

昭和44年、代表が北岡数彦にかわり、第14回展以降、賞を制度化し、「横浜市教育委員会賞」「神奈川新聞社賞」をいただき、さらに第15回展より「横浜市長賞」第16回展より「神奈川教育委員会教育長賞」、第17回展より「神奈川県知事賞」が認められ現在に至っております。

昭和47年関内駅前に教育文化センター(市民ギャラリー)がオープンし、この年第16回展を新装なった同ギャラリーで迎えた神奈川展は、それ以降30年あまり、同一会場で毎年秋季に開催。平成26年には伊勢山に移転した新市民ギャラリーに場所を変えて令和元年に第61回展を迎えるに至っております。この間、支部代表は、昭和50年から鈴木克久に代わり、16年間の長きに亘り代表を勤め、会の基盤を更に確かなものにしました。平成2年からは高梨潔が代表となり、平成16年からは佐藤光男が、令和元年からは西山彰が代表を務めております。

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